デッサン再び

 

 前回の美術で昏倒してから一週間。いま再び始まるデッサンの授業を考慮して昼飯は食べていない。吐いている余裕はないのだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。さっさと描いて終わらせなければ、長田さんを恨み始めてしまいかねない。悪いのは長田さんじゃないことなんて重々承知であってもだ。

 そもそも長田さんがどこであの血まみれ男子をくっつけてきてしまのか皆目検討もつかないが、血まみれ男子の服装や頭に被った防災ずきんなどを見る限り、かなり昔にお亡くなりの子供だろう。いつも半月笑みで、煤けたチラシで作ったであろうお花の折り紙を手に持ち立っている。大量の血液さえ無ければ本当に普通の子供だと思うと何だか切なくなってきた。戦争だろうか、世の中は辛い。しかし俺も辛い。

 昼休み終わりの5時間目にある美術の為に渡り廊下を抜け、美術室のドアを恐る恐る開けるが、長田さんの姿が見えない。まだ来ていないことに胸を撫で下ろしたが、授業開始まであと2分を切っていることを考えると長田さんの動向が気になる。時間には気を配る長田さんが、いつも5分前行動なのはクラスでは有名な話だ。既にクラスメイトの殆どが揃った教室の中から、近場の女子を選んで長田さんの行方を訊くと、昼休みの時から姿が見えないらしく、友人達も心配しているらしい。これはもしや。

 

「体調不良で早退なのでは!?アイムウィナー!?」

「最低だな藤原」

「あっ、ちがっ!ちがくて!」

 

 女子からの評価を落としてしまう程感極まった声を出してしまったことに些か後悔しながらも、このまま長田さんが来なければという期待を捨てきれない。黒板の真上に鎮座している簡素な電波式アナログ時計の分針を見つめる。授業開始まであと1分を切り、分針が次の目盛りを指すのを待ちながら廊下の足音に耳を澄ます。無音だぞ、これはもしやほんとのほんとに?

分針がカチリとずれるのと同時にチャイムが鳴った。

 

「はじめるぞ〜、スケッチブックだして向かいあえ〜」

 

椅子を引く音とざわめきが広がる中、俺は喜びに打ち震えながらゆっくりと席を立った。完全に勝利の気分に酔いしれながら、滲み出る笑顔を隠そうともせず雑多に並んだ机の合間を縫って美術教師の元へ進む。デッサン相手がいなければ、他に余った生徒がいない限りこの先生を描くしかない。今日はこの先生のもみあげを俺史上最高の画力で描き上げてやろうではないかと机を3つ越した所で教室のドアがすぱん!と開いた。すぱん!と開い、開い、え?

 

「遅れましたっ」

「おー長田、お前いなかったのか」

「すみませんっ、昼休みから身体が重くて。あ、でももう大丈夫なんです」

「そかー、んじゃ席つけー。無理はすんなよー」

「ありがとうございます」

 

 開い、開い、開い、え、え、え、え?開い、え、まっ、え、ちょ、なんで、えっ!?

 

「…………………え?」

「遅れてごめん藤原くん」

「…………………え?」

「え?」

「ふたり」

「え?何が?」

 

 一体何のことかと目を丸くして長田さんは首を傾ける。その傾けた隙間からこちらを見つめる赤いスカートの女の子。首をギギギと下に向けると、半月笑顔の血まみれ少年。あ、こりゃびっくり。もう一人連れて来るなんて!

 お願いですから勘弁してくれ!!!!!

 

「ふっ、藤原くん大丈夫!?か、顔が真っ青だよ!?」

 

 わんわんと歪み始めた視界の中で、長田さんが心配そうに問いかける。床が柔らかくなるような錯覚と共に後ろに倒れ込みながら、長田さんの目頭に涙か溜まってるのだけ認識して、そこからまぁ、いつものように…。

 

 

『先生ー藤原がまた倒れたー!』

『そのうち起きるからほーっておきなさーい』

 

 

 自分のこと見て2回も気絶されたら、そりゃ嫌だよなぁ。

 悪いこと、したなぁ…。